助けること、助けられること

公開日:2021年09月15日

とんぼ

こんにちは、はしっコラム担当のタカツキです。最近はすっかり秋めいて朝晩が涼しくなりました。赤とんぼも見かけるようになって、もう夏が終わったんだとしみじみ感じます。

9月20日は敬老の日ですが、みなさん、ご自分のおじいさんおばあさんと仲良くできていますか?

 

「助けること、助けられること」

学校

こんにちは、はしっコラム担当のタカツキです。最近はすっかり秋めいて朝晩が涼しくなりました。赤とんぼも見かけるようになって、もう夏が終わったんだとしみじみ感じます。

9月20日は敬老の日ですが、みなさん、ご自分のおじいさんおばあさんと仲良くできていますか?

 

かく言う私は家族構成が父は10人兄弟の末っ子(!)、母は3人兄弟の末っ子、そして私はその両親の末っ子ということで生前会えたのは母方のおじいちゃんだけでした。

そのおじいちゃんも私が記憶している範囲ではすでに入院していて、たまに棒金(ロール硬貨)からお小遣いをこっそりくれたのが印象に残っています。

 

小学1,2年生の私は棒金を見るのが初めてだったので、お金の価値もまだよくわかっていなかったし、正直棒金の方に興味がわいていました。

 

おじいちゃんは戦後自分で自転車屋さんをはじめ、子供たちを育てたようです。母におじいちゃんの性格を聞くと、とても頑固な人ですぐに怒鳴るので、近所の人からは少し疎まれていたと言っていました。でも母から見ていると、それは間違ったことをハッキリ伝えているだけで、変なことは言っていなかったそうです。

 

私はこんな感じでおじいちゃんおばあちゃんとあまり交流がなく育ったせいか、昔はお年寄りに苦手意識がありました。

 

ゲートボール大会

おじいさん

私の悲しい思い出を聞いてください(笑)

私の小学校では、敬老の日になると学校に近所のお年寄りを招待しておもてなしをするというイベントがありました。

そのイベントは地区ごとに生徒が集まり、自分の地区のお年寄りをおもてなしをするというものです。私の地区はゲートボール大会をしたらいいということになったのですが、生徒の中に誰一人ゲートボールのルールを知っている人がいませんでした。

 

誰が審判をするか決まらないまま本番に突入。実際にゲームが始まる直前になんと兄が地区の班長をしているという理由で私が審判をすることになったのです。

 

先生も各地区の様子を回りながら見る程度だったので、フォローしてくれる人はいません。私はとにかくゲートにボールが通った人に丸を付けていきました。でもそれではゲートを通った順番もなにもわかりません。

 

来てくれた人は当然私がルールを知って審判をしていると思っていたので、近所のおじいさんにめちゃくちゃ怒られました。「どういうことだ!」と散々怒鳴られて、私は言い訳もできず泣き出して逃走。敬老の日のイベントが終わるまで学校の陰で隠れていました。

 

人それぞれ

風景

この経験があって以来、私はずっとお年寄りが苦手でした。でも大人になってから、色々な人とかかわるうちに、だんだんわかってきたのです。人を「お年寄り」とか「若者」とか、そういった大きな分類でまとめて見ない方がいいことに。

 

本当に性格は人それぞれで、私は今まで尊敬できる年上の人にもたくさん会ってきました。例えば親戚のおじちゃん、おばちゃん。叔父叔母という関係ですが、年齢的にはおじいちゃんおばあちゃんの世代です。確かに私が太ったことを平気で指摘してきたり気になることもあるのですが(笑)みんな本当にいい人なんだなというのが、長年付き合ってきてわかります。

 

一度も悪意のある悪口なんて言われたことがありません。むしろいつも気を使ってくれて、野菜を届けてくれたりします。昔は年上の人に苦手意識があったのと、敬語をどうやって使っていいかわからなかったので上手く話せなかったのですが、今は普通に話せています。顔を見るとホッとするようになりました。

 

やっぱり関われるのなら複数のいろいろな年代の人と、子供の頃から関わっていたらよかったなと思います。そうしたらもっと早く「お年寄りが苦手」という意識から抜け出して、視野を広く持つことができたのかもなと思うのです。

 

身近なところから

私の家庭のように、おじいちゃんおばあちゃんと過ごす時間が短い子供も、最近増えているかもしれません。だからこそ今、家族で住むことに価値があると思っています。今はただでさえ感染症の影響で働いている親世代や子供、お年寄りがそれぞれ孤立してしまいがちです。賃貸の面積が狭めのマンションでテレワークという例も増えてきたと思います。

 

そんな時代だからこそ、広めの家にみんなで集まって暮らすという選択肢もあっていいかもしれません。それは働いている親世代を助けることになりますし、子供にとっても幅広い世代と交流があるのはとてもいいことだと思います。

 

広めの一軒家なら、赤ちゃんの泣き声も気にしなくてすみますし、一人になりたくなったら自分だけの部屋に移動したり、使い方は自由です。

確かに一人暮らしは便利です。自分の思い付きで行動できて、わずらわしい人間関係から解放されるかもしれません。

 

でもそれは元気なときだけ。人は機械ではないので体調を崩す時もあります。そんなとき家族で住んでいるありがたみをしみじみ感じるでしょう。私も半年前位にいきなり椎間板ヘルニアになって動けなくなっていたので、母と暮らしていて本当に助かりました。(^^;)

 

助けられることもあるし、助けることもある。それが小さなコミュニティでうまく回ることが、社会や生活の基礎かもしれないと思います。

 

なんだかお堅い話になってしまったかもしれませんね。

私が言いたいのはまず身近な人と交流を図ろうということです。それこそ近所の人やお店の人と立ち話してみるのもいいですね。大はし住研ではいつでも橋本さんが待っていますので、気軽に立ち話ししに来てください。(^▽^)/☆それではまた次の記事でお会いしましょう。ありがとうございました!

 

プロフィール

【タカツキミドリ】

webライター・電子書籍作家

香川県在住・発達障害(ASD)をもつwebライター。文章、イラスト、楽器、書道など表現が趣味。

電子書籍を5冊出版中。モットーは「ときめきを追いかける」 

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